生物多様性条約第10回締約国会議への意見表明
生物多様性をめぐる状況と課題−種(たね)と味の多様性を守ることの重要性−

1.生物多様性をめぐる状況と議論について

(1)生物多様性をめぐる危機的状況と生物多様性条約第10回締約国会議の意義

 地球上には、数え切れないほどの生物種が、それぞれの環境に応じた相互の関係を築きながら多様な生態系を形成している。
その意味で、地球はきわめて多彩ないのちの賑わい、すなわち生物多様性に満ちた惑星といえる。
われわれの暮らしは、その恩恵を受けて成り立っている。
生物多様性は、地域それぞれの環境や歴史により育まれている。
従って、地域固有の歴史の中で育まれた生物がそれぞれにふさわしい環境で生き続け、健全な生態系が持続するように、
人間の活動自体を自然に調和させることが必要とされる。

 しかし、世界的に産業化・近代化が進展するにつれ、環境破壊など人間の活動の負の影響により、
数多くの生物種が減少・絶滅の危機に瀕し、健全な生態系は崩壊し、生物多様性をめぐる状況は大変な危機に瀕している。

 こうした中で、この度、日本の愛知県名古屋市において、10月18日から生物多様性条約第10回締約国会議が開催されるが、
生物多様性の危機的状況を打開する上で、この会議の有している使命はきわめて大きいといえる。

(2)COP10などを契機とした日本国政府による広報活動と生物多様性を重視した農業への転換

 翻って、第10回締約国会議の開催国である日本は、四季の変化に富み、四方を海に囲まれた島国であり、
南北に国土が広がり、その中央を急峻な山脈が縦断し、全体として地形の起伏が大きい。
四季の変化に富み、全体として豊かな森林に覆われつつ、多様な生態系など豊かな自然に恵まれている。
そうした環境を活かして、地域性豊かな暮らしが各地で育まれ、営まれてきた。

しかし、特に第二次世界大戦後の高度経済成長を経て、大量生産大量消費の社会システムへと変化するとともに、
環境破壊が進み、生物多様性をめぐる状況は急激に悪化している。
 こうした中で、近年は、ようやく持続可能な社会への本格的な転換が模索され、
生物多様性に関しても、2008年に生物多様性基本法が制定され、
2010年にはこれを受けて生物多様性国家戦略2010が策定されるなど、危機的状況への対応が図られはじめている。

さらに、2010年10月にCOP10が日本の愛知県名古屋市で開催されることなどに伴い、
これまで一般的になじみのなかった生物多様性に関する広報活動が政府関係機関などを中心に進められている。
また、学者・研究者やジャーナリストにより、生物多様性に関する学術論文のみならず一般向けの著書や特集記事などの刊行が相次いでいる。
そうした中で、日本において、生物多様性という言葉自体は次第に耳にするようになりつつある。
しかしその内容については依然としてほとんど知られていない。このことは、生物多様性をめぐる状況が危機的な中で、
きわめて由々しき事態であるといえる。

 こうした中で、日本国政府は、COP10において、手つかずの自然における野生種の問題のみならず、
農地や雑木林、ため池、草地など農村に広がる空間である里地里山に焦点をあてつつ、
農業と生物多様性の問題について積極的に取り上げ、「生きものへのまなざしを取り戻そう」などをキャッチフレーズとして、
有機農業をはじめとする環境と調和し生物多様性に重視した農業を推進することを唱っている。

 実際、たとえば兵庫県豊岡市において、絶滅機危惧種であるコウノトリと水田農業の関係を再認識し、
かつてのようにコウノトリを育む水田農業を確立し、地域社会を変革していく取り組みなど生物多様性を重視した農業の推進が
各地で広がりつつある。こうした取り組みは、「農業は自然の営み(生物多様性と物質循環)に支えられており、
農業の展開の中で自然は豊かになってきた。
そしてたくさんの人々がその営みに参加してきた」という自然共生型農業などと表現できる農業観に基づき進められており、
高く評価できる。

(3)野生種にとどまる生物多様性の対象の拡大と作物や家畜の遺伝的多様性や種の多様性を保全することの重要性

 しかし、生物多様性の対象は、大変残念なことに、依然として野生種にとどまっている。
作物や家畜は生きものとして捉えられていない。
そのため、作物や家畜の遺伝的多様性や種の多様性が急激に失われていることは取り扱われず、
その事実は全くといってよいほど知られていない。

こうしたことの背景には、高度経済成長期以降推進された近代農業=工業化農業において、作物や家畜が命ある存在ではなく、
生産性や経済性の観点からモノとして捉えられ、扱われてきたことに起因するのではないかと思われる。
モノとして捉えられるうち、日本に暮らす人々の感覚も作物や家畜が命あるものとして認識できなくなったのではないか。
そのため、スーパーに行って陳列棚に並ぶ大きさや色、形が画一的な野菜を見ても、不自然と思うどころか、
そうでないと逆に納得しない人々が日本では大半になってしまったのではないか。

 いずれにせよ、作物や家畜も命ある生きものとして捉え直し、生物多様性の対象として認識し、
その遺伝的多様性や種の多様性が急速に失われていることをまず広く人々に知らしめる必要がある。

 日本では、特に高度経済成長期以降、生産性や経済性を過度に追求した結果、生産者は自ら種を採ることをやめ、
毎年、国公立農業研究機関や種苗会社など外部から種を買うのが当たり前のことになってしまっている。

その結果、例えばダイコンが生産性に優れた青首の系統に急速に画一化し、各地にあった多種多彩な地ダイコンが
消滅の危機に瀕するなど、生きた文化財である伝統品種・地方品種を次々に失っていき、作物の遺伝的多様性をほぼ喪失してしまっている。
こうした作物の遺伝的多様性の急速な減少は、第1に、近親交配による繁殖能力の低下をもたらし、やがては種の絶滅につながる可能性があることを
人々に認識される必要がある。

第2に、1840年代において当時主食であったシャガイモの遺伝的画一化が招いたアイルランドの大飢饉のように、
一度に特定の病虫害などにやられて食糧危機を招く可能性が危惧されることが広く知られる必要がある。
さらにいえば、今日の作物の遺伝的画一化は、多くのケースで1840年代のアイルランドのジャガイモ以上の画一化が進んでいることが
認識される必要がある。

第3に、伝統品種・地方品種は、地域の風土に根ざしたものであり、環境適応が進んでいるため、
全般的に病虫害に強く、里地里山の保全をはじめとして農業における生物多様性を守り、育むのに適していることが認識される必要がある。

第4に、伝統品種・地方品種を基礎とした地域の個性的で多彩な食文化=味の多様性が危機に瀕していることが広く知られる必要がある。
同時に、地域の個性的で多彩な食文化やローカルフードシステムが、伝統品種・地方品種を支えている。両者は相補的な関係にあるが、
そのことがよく認識される必要がある。

(4)ジーンバンクの限界と生産者、さらには市民参加による作物および家畜の遺伝資源管理の必要性

 作物や家畜の遺伝的多様性や種の多様性の低下に対しては、1960年代以降、
作物や家畜など生物遺伝資源の収集・保存を行うジーンバンク(遺伝子銀行)などが各国に設立されてきた。
たしかに、ジーンバンクによる対応は、将来の利用に資するために遺伝資源を集めるということ、
つまり、遺伝的変異の喪失を防ぐという点では一定の効果をあげているといえる。

 しかし、ジーンバンクによる保全は、実社会の生態系の中の遺伝資源の喪失には有効な手立てにはなっていない。
また、そもそも、ジーンバンクに保全された遺伝資源の管理は基本的に国公立農業研究機関や大学で行われ、
利用は研究者や種苗会社、食品・農業メーカーであり、一部の例外を除いて生産者、ましてや一般市民は排除されている。
また、目的について、なくなりつつある遺伝的な多様性を保全するというよりも、むしろ遺伝資源を将来の品種改良の素材に使うことにある。

 長く伝統品種・地方品種を守り育んできた生産者は、先にも記したとおり、高度経済成長期以降、生産性や経済性を過度に追求した結果、
自ら種を採ることをやめてきた。
同時に、品種改良や保全を行うには生産者自らが行うのは効率的ではなく負担が大きい。
品種の交雑が完全には防ぎにくいなど近代的な品種改良においては十分な設備や科学的知識がないなどの理由から、
生産者は実際的のみならず、制度的にも品種の保全や改良から排除されるようになっている。

国際的に作物や家畜の遺伝資源がきわめて重要な知的財産権の対象と見なされるようになる中で、
いわゆる育成者権が強化されてきており、生産者が慣行的に無償目的で自家増殖を行って生産された種苗や
それによって得られた収穫物にも効力が及ぶようになってきた。

日本における現行の種苗法の下では,「種苗法第21条第2項および第3項」で規定されるように、
栄養繁殖などの制限が行われながらも生産者の自家採種による種子の自家増殖が依然として認められてはいるが、
将来的には禁止される可能性があり、大いに危惧される状況となっている。

 持続的な作物や家畜の遺伝資源の利用のためには,これまで歴史的に遺伝資源を利用してきた農民の中で行われることが望ましい。
作物や家畜は農業生態系の中で必要な形質を発現・適応を続けることが明らかになっており、ジーンバンクのみの保全は
この適応過程を凍結することにつながる。

こうしたことは、従来の伝統品種・地方品種のみならず、新たに風土に適した品種づくりを進める際にもあてはまる。
従って、今後、生産者、さらには広く市民参加による作物や家畜ほかの生物資源の遺伝資源の利用・管理が必要といえる。
 また、生きた文化財としての伝統品種・地方品種というとらえ方を深く掘り下げる必要がある。

2.農業における生物多様性をめぐる課題


 こうした状況の中で、農業における生物多様性をめぐる課題としては次の9点が指摘できる。
 第1に、生物多様性とは何か、なぜ今問題になっているのかを広く人々に知らしめる必要がある。
中でも、農業における生物多様性、特に、作物や家畜の遺伝的多様性や種の多様性が急速に失われていること、
そのことのもたらす危機的状況や原因などについて広く人々に知らしめる必要がある。

 第2に、そうした多様性の喪失が、味の多様性の喪失をもたらしていることを知らしめる必要がある。
 第3に、対応のあり方として、伝統品種・地方品種などでは、ジーンバンクではなく、
実際の農地で保全を行う生息域保全の取り組みが特に必要となり、
生産者による自家採種など作物や家畜の遺伝資源保全に関して生産者、さらには市民の参加が必要であること、
農業のあり方や食べ方、加工方法など食文化を含むまるごとの保全が必要となる。

 そのためには、
@種を守る基盤を再生するため、生産者の自家採種を基本としつつ、種を守っている人たちにスポットをあて、
地域で守るべき伝統品種・地方品種のリストアップを行い、復活の取り組みを進めること。

A伝統品種・地方品種の加工や料理の方法を掘り起こし、見直しつつ、広く伝統品種や
地方品種の存在意義についての理解者を増やす取り組みを進めること。

B風土に適した新たな品種づくりを生産者の自家採種をもとにして進めること。

Cこうした取り組みに積極的に都市生活者や消費者が参加すること。
D食べ方や加工方法など地域固有の食文化の保全をあわせて積極的に進めることが必要である。


 第4に、生産者の自家採種や品種づくりについては、近代農業が進められる中で、先に記したように、科学的管理が困難などの理由により、
事実上否定されてきたが、生産者の主体性や農業の全体性の回復の問題を含めて、農業研究機関や種苗会社とは異なる生産者固有の技術や
知識体系として再評価および掘り起こしを早急に行う必要がある。

 2009年10月3日に日本において開催されたテッラ・マードレにおいて取りまとめられた呼びかけ文「農業における生物多様性の再生に向けて」(別紙)で示されているように、
種(たね)を採り、守っていくという作業は実際には大変であるが、種を採って作物を育てることで作物への思いが深くなる。
同時に、種(たね)から始まって、収穫し、花が咲きふたたび種(たね)に至るという作物の一生を知ることで、
いままで見えなかった個性や特性、欠点などが感じられるようになる。
作物の栽培技術を習得しても、種(たね)を自分で育成しなければ、その作物の個性を知って活かすことはできない。
また、自家採種を繰り返すことにより、当該の品種の環境適応が進んで風土に適合したものとなり、病虫害などへの抵抗性が強くなる。

 第5に、生産者、さらには市民による種(たね)を守るネットワークを形成して、
やがて、国を越えた地球規模での種を守るネットワークに発展するように相互に交流し支援し合うこと取り組みを進めていく必要がある。

 以上の課題について、スローフードでは、地域の大切な農産物や水産物、あるいはその加工品であるが、
今日のような経済至上主義の社会的風潮の中では絶滅の危機に瀕しているものをリストアップし、
必要な支援を行うアルカやプレシディオなど「味の箱舟」プロジェクトなどを長年進めてきた。

今後は、日本において、このプロジェクトの充実を図りつつ、個々のアルカやプレシディオの生産基盤を強化し、
アルカやプレシディオの生産者が地域を越えた相互連帯を進めていくこととしているが、そうした取り組みの重要が、広く知られる必要がある。

 また、生産者と消費者とを結び付けることも重要性である。
このことは、学校の菜園で自家採種を含む作物や家畜の生産を行い、
生産された農産物を料理して給食に供するスローフードにおける食育の取り組みである「スクールガーデン」のような教育のプロジェクトを含む。
また、農産物直売所や産直など、流通過程を短縮して生産と消費をダイレクトに結び付ける取り組みも重要である。

 第6に、こうした取り組みの主体としての小規模生産者の重要性の認識が必要である。
種(たね)や味の多様性を守るには、工業化農業の主役であり、過度に生産性や経済性を重視している大規模経営や企業的経営は
適しているとはいえない。

第7に、地域の伝統的な食品加工業者や料理人の果たす役割の重要性の認識の必要と連携の強化、支援が必要である。
地域の伝統的な食品加工業や料理は、長い歴史をかけて地域の風土、さらには農業と密接につながり、
地域固有の食文化を形成してきた。
従って、その存在は、地域の生産者にとっては元来密接で不可欠なものといえる。
地域の食品加工業者や料理人と地域の生産者との連携を進めることにより、相補的な関係は強固なものとなり、
同時に、生産から消費に至るフードシステムの距離を短縮することが可能となる。

また、地域の伝統的な食品加工業者や料理人は、固有の知識や技術、経験を有しているが、
小規模生産者同様、経済至上主義の風潮の強い現代社会においては、絶滅の危機に瀕している。
そのため、その知識や技術の継承、さらには後継者の確保を含めて食品加工業者や料理人への支援を行う必要がある。

第8に、地域の自然環境に適合し、生物多様性を重視した農業(さらには漁業)、食品加工、流通、さらには消費者の食卓に至るローカルフードシステムを、
地域全体で支えてサスティナブルものに確立する必要がある。

第9に、種(たね)と味の多様性が守り、育まれて、はじめて、里地里山を含む農業における生物多様性の保全が可能となることが
きちんと認識され、種(たね)と味の多様性の問題が生物多様性をめぐる議論の中心的な課題の1つとして位置付けられる必要がある。
第9に、以上の課題の解決のため、必要な公的支援が行われる必要がある。

スローフードとしては、山積する課題に対処するため、これまで以上に取り組みを強化することとしているが、
生物多様性条約第10回締約国会議への意見表明として、種(たね)と味の多様性の重要性について、特段の提起を行うものである。
                                                                                   以上
2010年10月18日
スローフードジャパン&スローフードインターナショナル

                                           (文責:川手督也 日本大学生物資源科学部食品経済学科産業社会学研究室)